「そろそろ、する?」
どうにもこうにも軽い、しかしながらいつものことと言えばその通りの口調。
その落ち着いた雰囲気とトーンには似合わぬ高めの声は彼独特のそれだ。
けれど出逢って早数年。
それはもはや人生のほぼ半分を共にしていると言える程の年月の中で、そんな思うより軽い調子の、けれどその中に確かに込められた誠実さは河合にとって何よりも愛しいものでもあった。
そうして何気ない、一緒に出かけた帰りの道すがら、夕陽に照らされたその白い顔がなんでもない風で振り返って言った、そんな言葉。
河合は緩く瞬きをしてきょとんと首を傾げた。
その真意を問うような視線を向け、つやつやした唇をうっすら開く。
「する・・・?」
当然のような疑問の言葉。
けれど彼はそれに少しだけ躊躇った様子を見せた。
何か考えるような仕草を見せ、一つ息を吐き出して、それからもう一度口を開く。
「郁人」
下の名前を呼ばれたのは何も初めてではない。
基本的には苗字で呼ばれることの方が多かったけれど、たまに下の名前で呼んでくれることがあった。
それはどちらかと言うとプライベートのことである方が多くて、その高めの声と落ち着いたトーンで紡がれる自分の名前は、その響きは、いつだってどうしようもなく嬉しいものだ。
けれど今呼ばれるそれには、いつもの嬉しさに混じって妙に胸の奥を締め付けるような何かがあった気がする。
それはもしかしたら、河合も無意識の内に何かを感じ取っていたからかもしれない。
じっと見つめた先で彼が小さく笑う。
そうすると途端に人懐こくなるその顔を、何故かその時河合はただじっと見つめることしかできなかった。
夕陽の赤に照らされてもなお黒いその瞳は、やんわりと細められて河合を映す。
「俺と、これからもずっと一緒にいる?」
問われた言葉は、河合からしてみれば今更すぎるものでもある。
むしろ河合はいつだってそれを胸の奥底に秘めた何より強い願いとして持っているし、自分の半分程度の大きさでいいから相手もそう思ってくれればいいと常に思っていた。
けれど今彼が敢えて自分にそう訊いた意味。
河合は何か大事な、何より大事なことを訊かれているのだとそう感じて、その瞳をじっと見つめ返すと、一つこくんと頷いた。
「うん。ずっと一緒にいたい」
彼はどこか満足気に、そして隠しようもなく嬉しそうに笑った。
なんのてらいもない、どこか子供みたいなその笑顔にじわりと暖かくなる胸の内。
それをこの先も絶対に忘れないでいようと思った。
この夕陽を。その笑顔を。その言葉を。この確かに震えた胸を。捧げたこの心を。
「じゃあ、結婚しよっか」
これからずっと、一緒に暮らそう。